10月31日、漁に出たまま帰らぬ人となった「芦原英雄さんを偲ぶ会」に参加をしてきました。
町会議員を28年間、漁業調整委員を35年間、25歳で初めて町会議員になられてから49年間も、住民のために、ふるさと伊根のために、漁業者の営業と暮らしを守るために果たして来られたかけがえのない存在だったことをあらためて痛感しました。
伊根町では、平成17年から始まった宮津市との合併反対の運動で、住民の意思で押しつけ合併をはねのけ、住民が主人公の町政が前進しています。この土台には、芦原さんを始め、多くの人々が困難な中で闘ってきた歴史があった事も、あらためて知ることができました。
昭和40年から始まった新宮津火力発電所建設反対闘争では、800名の住民のデモ、230隻の漁船の会場デモは壮観だったそうです。
昭和41年の伊根中学校建設では、当時学校建設は、「寄付でするのがあたりまえ」とされ、寄付を拒否した人を村八分にせよと非難が浴びせられたとき、町議会で敢然と「寄付の強請であり、人権侵害だ」と立ち向かったのが芦原さんでした。このことをきっかけに府議会や国会で取り上げられ、寄付を全戸に返還、寄付なしで中学校が建設され、そのことが全国に広がりました。当時、芦原さんと一緒に「寄付での建設は、おかしい」と拒否した小谷脩さんは、「当時3万円の寄付だった。村から非難が相次ぐ日々、深夜に帰宅しても父から、金は用意していると説得され、つらかったが信念を曲げなかった。」と語っておられます。
漁業調整委員選挙でも、3票差で落選したものの、果敢に挑戦した折戸さんの奮闘が、芦原さんの当選につながった事もわかりました。
11日から、漁業調整委員補欠選挙が行われます。芦原さんの遺志を継いで、同級生でずっと一緒に頑張って来られた田中信晴さんが決意をされています。田中さんは、昭和24年から、定置網、巻き網船機関長を勤め、現在は一本釣りをされている方です。ご一緒に京丹後市・宮津市・舞鶴市・伊根町の各漁協や水産会社にご挨拶に行ってきましたが、誠実で穏やかな中にも漁業を国の基幹産業として守って行きたい!強い思いを持っておられる事がよくわかりました。
漁協関係者との懇談では、原油高騰と漁価の下落で、このまま行けば漁が続けられない、是非国の支援策を!と強い要望が寄せられました。
コメント