10月28日、8年前に22歳で過労死した中田衛一さんの14回目の裁判。
「クタクタになって帰ってくる息子・・・夜中に階段の足音に耳をすませ、玄関の靴を確認する毎日でした。トステムで働くことで22歳の青年としての普通の暮らしができないまま息子は亡くなりました。衛一の人生は帰って来ませんが、大企業としての責任を真摯に受け止め、本当の実態を明らかにしてほしい」・・・お母さん・弘美さんの声が法廷に響きました。
青年が過労死をしなければならないほどのむちゃくちゃな働かせ方をさせていたトステムの実態が明らかにされた裁判でした。
日勤は午前0時がすぎるのが日常、午前2時、3時まで働き、夜勤も5時20分に帰れるはずが8時、9時になる・・・・、今日は日勤なのか、夜勤なのかわからない、一日中働いていたような感じがするぐらいの働かせ方でした。
最近まで派遣で働いていた方に聞くと、頻度の差はあっても、今も午前0時、1時まで残業をすることがあったそうです。今も変わらない過酷な労働をさせてきたトステム綾部工場が、突然来年3月末で工場撤退を発表(契約社員など174名が」仕事を失い、正社員175名は全国の工場に配転。実態は、退職せざるをえない状況に追い込まれている方も・・・・)したことは、この企業の社会的責任の無さを表しているのだと思います。
裁判の日は、早朝トステム前宣伝、学習会、デモ、裁判傍聴、報告集会と、成宮まり子さんと共に参加をしてきました。京都市内で組織する「中田衛一ネット」の青年達もバスで駆けつけ、80名が参加しました。裁判の傍聴席の半分は青年達。デモでは、「過労死の責任を認めよ!」「トステムは雇用の社会的責任を果たせ!」の青年達の声が響きました。
「8年間のたたかいは長かったと思っていたが、今日、早朝の宣伝に立った時、亡くなったことがついこの前の様な気がして涙が止まりませんでした。みなさんに背中を押されて頑張ることができました。2人だけではここまで歩んでこられなかった。・・・」と報告集会でのお母さんの感謝の言葉!ご両親と出会って7年近く、ご両親の頑張りに励まされてきたのは、私です。夢も未来もある青年が過労死するような社会を変えなければ!裁判勝利とトステムの工場撤退を許さない闘いに全力です!
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