死者6434人、家屋全半壊47万世帯という戦後未曾有の大災害、阪神・淡路大震災から16年。当時、私の実家は兵庫県宝塚市にあり、兄は、神戸市灘区に住んでいました。被害の状況を知りたくて電話をしても通じず、やっと夕方になって、兄の家族が歩いて実家にたどり着いたこと、被害は冷蔵庫や家具が倒れたぐらいですんだことがわかりました。数日後、目にした被災地の実態は壮絶なものでした。
母は、多くの友人を亡くし、「生きる元気がなくなった」と言うようになり、7年前の1月17日に亡くなりました。 「震災の事、私の大切な友人達が犠牲になった事を忘れないでね!」と言っているのかもしれないと思っています。
テレビで、「被災者にとっては、震災は過去の事ではない」と報道していました。今も苦しんでいる被災者が多くおられるのです。民間から借り上げた復興公営住宅で入居者への転居を迫る事態が生まれているそうです。災害はいつやって来るかしれません。京都北部でも23号台風での被害がありました。
「防災の強化と、被害の補償に責任を持つ国へ国民の命を守る政治へ!」頑張らなければ!
15日と16日は、宮津・与謝での活動。1月22日に開催される「TPP問題交流会」の案内に農業委員さんを訪問しました。ある企業の方は、「TPPは、結論アメリカの要望に応えたもの。内閣改造で、TPP推進派の大臣を登用して強行するのは許せない。民主党政権に期待する人も多かったが、もう終わりに近づいているのでは?共産党はしっかりとした考えを持っておられますね。」と、民主党政権の自民党返りに怒りの声をあげておられました。
16日は与謝地区支部代表者会議でした。
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