日曜日の朝、今にも雨が降りそうな空に、「今日は晴れ女に!」と「誓って?」家を出ました。後援会のみなさんと「出石」に出かける計画があったからです。その「誓い」が通じたのか、出石の町並みを散策する時には、青空が広がっていました。
久しぶりに、ゆっくりと町並みを歩き、おいしいそばを食べ、伝統工芸にふれ、後援会のみなさんと交流ができたすてきな1日でした。
26歳から30年間出石町会議員、平成16年から豊岡市に合併するまでの10ヶ月間町長をつとめ、現在は豊岡市会議員の奥村忠俊さんの経営するそば屋でお話を伺い、古い町並みとそばが好きで、夫と共に、時には一人でぶらっと出石には何度もきていましたが、今回、出石の町づくりの努力や住民の町を愛する心にふれて、年間100万人もの観光客が訪れる活気のある町になっている理由が良くわかりました。
現在そば屋は、47軒。観光協会から独立した第3セクター「出石まちづくり公社」が観光ガイド、売店、貸店舗、駐車場などを経営し、町づくりの中心的役割をおい、経営は健全で、株主に4%の配当金がだせる様になっていて、町の活性化に寄与しているとの事。全国では第3セクターが失敗し、観光では成功していない例が多いだけに、なぜ、出石には多くの観光客が訪れるのか。
その理由は、住民が長い間受け継がれてきた出石の良さを大切にしている事、さまざまな住民グループを中心に、行政だけに頼るのではなく、住民自身でまちづくりを進めてきたことにあるようです。
出石そばのブランド化をめざし、地産地消でしないで育てたそば粉を使う試みを始めたり、お城の復元の時には、出石城の登城門は住民の寄付でつくられ、「自分たちが作った門と誇りに思っている事、古くなった役場の建て替え時には、「せめて門だけでもと住民の要望で残された事、赤い土壁の酒蔵がそのまま残されている事などなど・・・。町を案内してくださったガイドの方のわが町を愛する熱意が伝わる話にも、そのことが感じられました。
ますます出石が好きになりました。でも、我が町峰山にも歴史に残るものがたくさんあります。でも、その良さが町づくりに生かし切れていない気がします。
伊根から参加した方も、「観光資源などまちづくりの条件は伊根の方がはるかに良いのに、これを生かす町民のエネルギーが発揮できていない事を学んだ。」と言われていました。
おたずねした伝統工芸士「たくみ工芸」の寺内さんです。全国で柳行李を作っているのは2人だけだそうです。豊岡の畑で材料を育てるところからの手づくりで、全国から頼まれるそうですが4ヶ月はかかるとか。現在52歳。跡継ぎがいないのが、悩みだそうです。
住民のエネルギーが町を変える!
そして、今は国政も国民が動かす新しい政治のプロセスが始まっています。
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