仮設住宅のイベント終了後、南相馬市会議員の渡辺貫一さんの案内で、原発から20キロ圏内、今も住むことが出来ない小高区を視察しました。
前回7月から何も変わっていない現状・・・・変わっていた事は、地震で壊れかかった家屋が朽ち果て倒壊していた事、壊れた屋根にビニールシートがかけられたいた事。ビニールシートをかけたのは東京電力です。理由は、壊れた屋根から雨が漏り、家屋の破損をこれ以上させないためであり、賠償額を少しでも減らすためにしたそうです。身勝手なやり方に怒りがこみ上げてきます。
7月に壊れかけていた古い住宅が倒壊、津波で遠く離れたところまで家が流され倒壊寸前に・・・・・1年7ヶ月たった今も放置されている現実を多くの人々に伝えなければ!
今回の視察は、被災者であり小高区に住んでおられた渡辺議員の案内だったので、当時のリアルな状況を聞くことができました。
原発の爆発が起きた時、市は情報もつかめず対応が遅れていました。渡辺議員は自分の宣伝カーに市の職員を乗せて、避難を呼びかけたそうです。今も、市からの避難命令は出されていないそうです。
安否不明者の捜索にも、自衛隊員と一緒に出かけ、地域の事をよく知っている議員ですから、お産で里帰りをしている母親と生後10日の赤ちゃんを探したこと・・・(残念ながら母親も赤ちゃんも津波の犠牲になりました)、水門を閉めないと川の氾濫で2次被害が出ると、市や県に要請してもらちがあかず、建設した業者に働きかけ、20㎝水門を開けさせたことなど・・・・日本共産党議員の果たした役割をあらためて知ることが出来ました。日常的な結びつきがあったからこそ出来た役割でした。
渡辺議員はたくさんの田畑を耕作する農家です。息子さんと一緒に農業を頑張っておられました。今、息子さん達は京都と愛媛県に避難されています。悔しさやつらさをみじんにもださずにご夫婦(妻は、福島1区の小選挙区候補 渡辺チイ子さんです)で奮闘されている姿に、心が打たれます。
7月以後倒壊した家。
電信柱は立て替えられたもの。流された車はそのまま・・・。
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